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「ありがとう」の美学の話をしたい。

「本当にありがとうございました」は締めの言葉として便利だし私も使うが、芸のない言葉だといつも思っている。
「ありがとうございます」という言葉自体、そもそもテンプレであり、
「お世話になっております」「よろしくお願いいたします」
これらの言葉と同じカテゴリ内に並んでいるということを認識すべきなのだ。

本当に感謝を伝えたい時、なぜ感謝しているのか、どんな影響があったのか、言葉を尽くそうとする。
それを「ありがとう」で済ませてしまう、ということは、たいして感謝の中身がない感じがするのだ。
助かったところを言語化、描写し、ありがとうの解像度を高くしなければ、感謝の中身そのものは伝わらない。
本気の感謝を伝えるにおいて、ありがとうはもはや「言わないよりマシ」というぐらい力のない言葉になっている場面すらある。
(BUMPも歌ってます ♪ほんとのありがとうは〜ありがとうじゃたりないんだ〜♪)

助かったポイントを具体的に描写することのメリットは。
相手の自己効力感(自分は役に立てるという感覚)が上がり、
自分の「守られていた実感」も強くなる。
お互いの精神状態を底上げすることができる。

「ありがとう」を脳死で撃つのではなく、
どこがどう助かったのかを1~2行でいいから描写するだけで、感謝の解像度は一気に上がる。

本気の感謝を文章で書くとき、最後の締めの言葉をどうするか。
正直に言えば、締め言葉にすら「ありがとう」を使いたくない。
「ありがとう」と一発書いてしまうことで、熱量・品格を下げてしまうような気がしてしまう。
これに加え、
「ありがとう」が視野に入るだけで視覚でなんとなくのテンプレ感をキャッチしてしまうため、文章を最後まで読ませることができなくなってしまう。

「あなたが一言フォローしてくれたおかげで、あの場に安心していられました」
「あなたと同じ勤務の日は、いつもより呼吸が楽にできるんです」
「あの一言がなかったら、私はたぶん今日ここにいませんでした」
「あなたに追いつきたいと頑張れることが、こんなに嬉しいことだとは」

これらは全部、「ありがとう」を一度も使っていないが、
受け取る側は「感謝された」という実感が残るし、今後一生記憶に残るということがあり得る。

ただ、すべてのありがとうを言語化しろと言っているのではない。

ありがとうの中身を長々と言語化していると、嘘くさいしくどい。
お菓子をもらっただけで「あなたのその気遣い、本当にいつもいつも場の雰囲気を明るくしてくれて・・」など始まればうぜえなとなる(これはこれで、私良い人でしょアピールというか)。

軽い出来事であれば、さっぱりとありがとうと言って終わらせるべきだ。
ここは完全にセンスの領域だ。

「ありがとう」という言葉を、私も普通に使う。人として。
ただ「この場面で『ありがとう』だと刺さらない、他人と差がつかない」と思う場面もあるのだ。
「人の心を動かすにはどう行動すればいいか」をいつも考えてしまうからかもしれない。

「ありがとう」を、テンプレの5文字で済ませるか。
それとも、
一行でいいから、自分の言葉で書き換えるか。

人生の差は、そこでつく。

そう本気で思っている。

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