尊重のない「好き」が関係を壊す
「好き」とは何か。
無限の解釈があるが、ひとつ捉え方をお話したい。
人に対する「好き」には3つある
1:相互依存状態
相手というコンテンツを純粋に面白がっている・相手を尊重する気がある「好き」
2:依存状態
相手に「こんな風に愛してほしい」などのニーズを抱いている「好き」
3:自立状態
好きだけど、トーンダウン・燃え尽き、好きかわからない、好きという自覚が弱い
※一般向けにはニーズを承認欲求と言い換えたほうがわかりやすいのだが、マズローの欲求5段階説に出てくる承認欲求との混同を避けるため、ニーズという言葉を用いる
関係性は「どちらかが依存担当、どちらかが自立担当」のままでは、必ずいつか壊れる。
そうではなく、「相互依存状態」へ行くのが理想だ。
相手というコンテンツを純粋に面白がっている・相手を尊重する気がある「好き」を目指していきたい。
問題になるのは依存と自立
問題になるのは2(依存状態)と3(自立状態)である。
「彼のことが大好きなんですっ!」
その好きの中身を精査してみてほしい。
「彼というコンテンツを純粋に面白がっている・尊敬している・人として好き・尊重できる」(相互依存状態)なのか
「彼にかまってほしー!…ちゅき」(依存状態)なのか
どっちなのかは自分でも薄々わかると思う。おそらくどちらも混在しており、後者の割合が大きいから問題になる。
だが安心してほしい、1の比重が大きい人は玄人だ。
親を人として尊重できているか?
親は選べない。
あなたは
親というコンテンツを純粋に面白がったから、親を人間として好きになったからその親と一緒にいようと思った わけではないはずだ。当たり前のことだが。
自立-依存の関係性がすでに敷かれた舞台で、私たちは親と出会っている。
親の元に生まれ、親に対する依存時代を誰もが経験した。
相互依存をまだ経験していないということは、依存・自立時代を卒業できていないというだけの話だ。
別の言い方をすれば 親をまだ1人の人間として尊重できていない状態といっても良いかもしれない。
小学校に例えれば、小学校低学年が依存時代で、高学年が自立時代というイメージだ。
(自立時代はまだ小学校卒業できていないということは、ひっかけポイント)
ニーズを誰かに満たしてもらう(依存)・無理ならニーズを諦めきれず拗ねる(自立) という世界観しかわからない、という状態はまだ小学校を卒業できていないのだ。
そして私もまだ、小学校を卒業していない。
相互依存状態のイメージとは以下のような状態だ。
- 「自分にできることとできないこと」を線引きする
- できないことは誰かに頼む
- 相手の話を否定せずに聞く
- 提案・励ましなどで相手に与える
- 相手に「NOと言える選択肢」を残す
- 押しつけ・決めつけ・コントロール・指示・否定を避ける
- 相手が取りやすいボールを返せる
このように
親、配偶者、恋人など「特にニーズが出やすい人物」を尊重できるという状態が、相互依存状態のひとまずのイメージと思ってもらいたい。
相手を純粋に尊敬、尊重、人間としておもしろがることができれば
相手から同じものが返ってくる。
メンヘラの人はとりあえず「私は彼を尊重できているかな」と立ち止まるだけで十分だ。
その踏みとどまりが無いのが、メンヘラたる所以だからである。
そして依存・自立状態を抜けるためには(小学校から卒業するには)
それなりの修行が必要だ。
相互依存に到達するためには
どうすれば相互依存に行けますか?という問いに対する答えは本記事では扱わない。
本記事で相互依存のイメージをつかんで頂ければ幸いです。
そのうち 相互依存に到達するための説明口調ソングでもつくろうかな?
音響担当でした〜〜!
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。


この記事へのコメントはありません。