「こうなりたい」のお手本はあるか
自分軸や自己肯定感などが重要だと叫ばれて久しい。
今回は「自分軸を確立したい人」など、「こうなりたい」がある人に向けて書いている。
要約としては、
具体的なお手本があれば、それに近づきやすくなるが、
あなたはそういったお手本となる人物を持っているだろうか。
という話をしたい。
なんでも、お手本がいたからできた
人は、できると信じてから変わっていくのではない。
身近にそれをやっている人がいたから、なんとなく「私にもできるんじゃないか」と思えた。
ただそれだけなのだ。
日本語を話せるようになったのは、身近に日本語を話す人間ばかりだったからではないだろうか。
携帯電話を使えるようになったのは、身近に使っている人がいたからではないだろうか。
「自分軸で生きる」をやるのも同様で、
まず、「どうせ自分もできるんだろうな」と思えるようなお手本を見つけるところから始まる。
しかし現代社会、自分軸で生きれている人間は、生息数が少ない。
身近にお手本が溢れかえっていないのは事実だ。
であれば、身近でなくても良いので、探しにいかないといけない。
人は長く触れたものに似ていく
YouTubeなどの動画コンテンツを毎日観ていると、気づけば配信者の口癖がうつってしまったという経験はないだろうか。
無意識のうちに、自分の言葉になっている。
現にこのブログの文章の感じも、お手本となる人物がいる。
人は、長く触れたものに似ていく。
自分にとって「ただなんか好き」というシンパシーを感じる相手の挙動は自分にうつっていく。
抵抗がないからだ。
自分が今、自分軸全開で振る舞えていないとしよう。
ただ、自分の見ているコンテンツの中には
「こんな身軽な考え方ができたらいいよなあ」
「たのしそうに生きてるよなあこの人は」
という人物がいたとする。
お手本がいる時点で、自分軸をインストールできる可能性がかなり高まる。
自分軸ワークやアファメーションを努力の世界観でゴリゴリ積み上げるより、すんなりとそこへ行けるイメージがある。
この人ならどうするか
お手本は君に決めた!と認定したあとにやることはシンプルだ。
この人ならどうするだろう
この人ならなんと言うだろう
この人ならどう振る舞うだろう
これをことあるごとに妄想すればいいだけのことだ。
本当の正解を考えるのではない。
あなたの思う「この人の振る舞い方」を妄想すればいい。
大事なのは
「それを振る舞う自分自身をイメージする」ことまでしてもらいたい。
ただここで
「妄想はするけど、実行にはうつせないのなら意味がないのでは?」
と思ってしまうのだが、実はそうではない。
次項で説明する。
抵抗感が薄れることに意義がある
お手本の人のような言動を、実際の行動に移せないことは、全く問題ではない。
最初からできるはずがないからだ。
例えば
休み希望が出せずに心労が溜まっている人がいるとしよう。
お手本となるあの人だったら
「すみません、来月休み希望出したいんですけど」と言えるだろう。
でも現状、自分は言えない。
今その振る舞いを実際にすることはできなくても、「あの人ならどうするか」を妄想すること自体に効果があるのでやめないでほしい。
お手本を頭で思い浮かべることで、その振る舞いが「あたりまえ」として心に蓄積されていく。
当たり前感が蓄積されれば、「休み希望だしたいです」を言う抵抗感が徐々に薄れるとともに
最初は妄想でしかなかったその振る舞いが、「選択肢」に昇格するときがくる。
これが狙いだ。
私のお手本
私の自分軸系のお手本は、精神科医の樺沢紫苑(かばさわ しおん)氏だ。
お手本にしている最大の理由は、
他人に振り回されない生き方をしているなかでも、「攻撃性がない」ことだ。
偏見かもしれないが、
他人に振り回されない生き方をしている人は多いが、攻撃性・自分勝手さ・イキリが垣間見れる人物の割合が多い。
手本にしたら何かを失うような気がしている。
いまいちそういうお手本がないという人は参考にしてみてほしい。
そして全く本筋とは無関係だが、
「ブログの記事に挿入されている画像の意図がわからない(良い意味で)」とご意見を頂くことがある。
今回は
「牛乳を注ぐ女(フェルメール)をお手本にしている人物」の図である。
今回のテーマ「お手本」に絡めた画像となっています。


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