絶望中の人へ〜この世界は幸せになるための場所ではない
幸せな人を見たことがあるか
今まで出会った人全て、思い出してもらいたいのだが
「幸せになった人」を見たことがあるだろうか。
お幸せに!と言って見送った新婚夫婦はいまも幸せか?
オリンピックで金メダルをとった人はいまも幸せか?
プロ野球選手になるという夢を叶えた人はいまも幸せか?
というと、おそらく普通に生活している。
ハッピーエンドから、時間が流れているからだ。
幸せそうに見える人も、裏では必ず苦労や努力をしており、
苦労なしで金も地位も時間も人望もオールジャンルフルコンプリートしている人はいない。
視野をもっと広く持てば、幸せな人などいないことに気づける。
今回は、絶望している人に向けて書いている。
この世界で「私は幸せです」と発信している人というのは
幸せになった気がしている(ある意味幸せな)状態にいるだけだということを解説したい。
この世界は幸せになるための場所ではない
この現実世界は、欠乏・比較・時間・死が前提の世界だ。
欠乏:全てのジャンルで幸せにはなれない
比較:上には上がいる
時間:ずっと続く幸せはない
死:いずれ死ぬ
ということは
この世界には、なんでも「限り」があり、
幸せには、「条件つきの幸せ」しか存在しないということになる。
つまり
この世界はフルバージョンで幸せを味わえるための場所ではないのだ。
「幸せ」のソフトにスタンダード版、コンプリート版の2つがあって、コンプリート版だけCOMING SOON(永久に)になっているイメージだ。
なので「今幸せじゃない」と絶望しているとしたら、それはこの地球上で誰も購入できないものなので、捉え方で損をしている可能性がある。
「そうは言っても絶対あの人より私のほうが不幸」と、ここでまたそうやって「比較」をしてしまう。
幸せを感じないための本能や罠にいつも騙されている。
幸せは条件付きであると述べた。言い換えれば、
「幸せな人」とは、条件がたまたま今そろっている人でしかないということだ。
パートナーがいる
仕事がうまくいっている
健康である
承認されている
お金がある
これらはすべて、あるジャンルにおいて一時的に、好ましい条件がそろっているだけなのだ。
幸せな人というのは、今は不幸が刺激されていない人 と言い換えることができるのだ。
幸せ=不安が裏返った状態
幸せを感じている瞬間=不安が裏返ったことにより、不安が一時的に停止した状態
と考えてみてほしい。
幸せと不安は、隣り合わせだ。因果関係があると言ってもいい。
例えばこんなふうに。
・寂しかったから、誰かに会えてほっとした
・もうすぐ失うことがわかるから、感謝できる
・連絡がこなかった時期が長いから、連絡が来て嬉しい
・金に困った時期があるから、人を助けられる
・苦労や努力を重ねたから、成果をあげられた
・リスクをとったから、物事が好転した
・比較があるから、優越を幸せと勘違いする
・傷ついたことがあるから、人の気持ちがわかる
「幸せ」の裏には不安があるということだ。
そして不安が裏返った状態を「幸せ」と呼んでいるのであれば
私たちが思う「幸せ」は、純然たる「良いこと」とは言えないのかもしれない。
じゃあ、なんのために生きるのか
幸せ・不幸の基準そのものが消えた状態が、最も幸せに近いということになりそうだ。
皮肉なことではあるが。
この世界に、幸せな人はいない。であれば逆を言えば「不幸な人もいない」ということ。
幸せを目標にするのではなく、このことに気づけるようになりましょうと。
上記述べてきた考えは、悟り系の話をもとにしたものであり、私個人の考えではない。
ただ、反論することができず、私自身は渋々納得し、この考えを採用している。
だが私個人はそれでは面白くない。
そこまで悟り切った状態に、あまり興味がない。
なので私はこの世界ではなんのために生きるのかといえば
「幸せのない場所で幸せを諦めないこと」
これを表現し、それを他人に見られ面白がられる人間であるために生きている。
ということにしている。


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