無価値感により人の奥行きが作られる
私の主観に寄るが、表現を生業とする人(アーティストや作家)においては無価値感は必ずしも害悪ではないという話をしたい。
無価値感とは
無価値感とは、心理学界隈で頻用される用語で、「自分には価値がない」と感じてしまう感情のことを指す。
この無価値感が全くない人は存在しない。
無価値感が強くあると、「自分には価値がない」と無意識に思ってしまい、自分を小さいものとして扱ってしまう。
「小さい自分」は依存側の立場になってしまい、相手と対等な関係を築きにくくなる。
行くところまで行けば、関係が崩れる。
無価値感が世界観を創る
しかし無価値感は、表現者の人物像に陰影を生み、結果としてエンタメ性を与えるという利点がある。
どういうことかというと、
「私は無価値である」という前提があると、それを埋めようとして人は無意識に物語をつくりはじめる。
その物語の種類により、人物の世界観や雰囲気が形づくられていく。
アンナ・カレーニナの有名な一節にある通り、
幸福は似た形になりやすい一方で、不幸にはそれぞれ固有の趣がある。
同じ「無価値という不幸」でも、そこから生まれる物語は多種多様で、だからこそ人物が一気に面白くなる。
無価値感が強い人の表現が刺さる理由
無価値感が強い人は、それを覆そうともがくことになる。
私は無価値ではないことを証明しようともがいている。
このもがきを見た人が感じ取るのは、
必死さ、一生懸命さ、立ち向かう姿、誠実さ、孤独 など 生きる姿勢そのもの。
その生きる姿勢を好ましいものとして、自分に投影する。
投影とは心理学用語だが、どういうことかというと
「自分もそうやって必死に生きてるもん、共感するなァ」と自分の中の経験や気持ちが、無意識に同調するため、刺さる。というのが投影だ。
もがきによって表現される必死さや立ち向かう姿などの好ましい要素が、「私もそういうとこあります!わかります!同じですね!」と、自分自身を良いものだと手を上げたくなる気持ちに刺さっている(投影している)と言ってもいい。
さらに場合によっては「この人みたいに生きたい」と、先駆者やカリスマとして憧れる気持ちにもつながる。
そして重要なのは、目の前で本人の生々しい苦労を見なくても、
作品にはその人の生き方が滲み出る。
受け手はそれを言語化できなくとも感じ取り、「なんか良い」と思う。
(補足すると、もがくことをしなくなったフェーズの人や、もがくのを隠す人(ロックマンや燃え尽きなどの自立の自立)は、物語性を発揮しにくいように思われる)
しかしうまくはいかない罠
しかしそんなオイシイ状態を台無しにする要素がある。
それは、本人に「責めるエネルギー」があるかどうかだ。
相手や自分を責めるエネルギーが強い人物が主人公では、素直に感動することが難しくなってしまう。
無価値感+責める=悲劇のヒロインというだけだ。
なんだか愚痴のようで発展性がなく、応援したい気持ちが起こらない。
忠臣蔵のような復讐劇になるのが関の山であり、ハッピーエンドにはならない。
少なくとも、復讐心オンリーの主人公は、憧れの対象やカリスマにはならない。
主人公に復讐心があったとしても、少しでもいいから「より良くしたいんだ」「自分が望む世界はこうだ」という意思や理想も同時に表現している人物に、魅力を感じるのではないだろうか。
復讐心だけでは終わらせない明るいエネルギー(闇を光に変える力)も持っているからこそ、憧れの対象になる。
闇を光に変える力と無価値感を同時に表現するというこの矛盾が、ロマンスを感じさせる。
しかし、そのような人は多くない。
いま、表現をする人に向けての話をしているが、
モテる人や応援される人も、責めるエネルギーが少ない。
では、罪悪感は?
同様に考えれば、「罪悪感」も人物にエンタメ性を与える力を持っている。
日常系アニメと劇場版の違いを考えてみてほしい。
毎週放送されるクレヨンしんちゃんでは泣けないが、劇場版のクレヨンしんちゃんで泣けるのはなぜか。
劇場版のいつもと違うところは、登場人物に罪悪感というスパイスが加わっている点だ。
そして、罪悪感と愛の量は比例する。(心理学界隈で言われている格言)
映画ではその「愛」を表現しているため、感動するということが起こる。
劇中で展開される登場人物の内面的成長は、罪悪感が愛に変わる過程と言っていい。
だからあなたも、
作品のなかで、罪悪感が愛に変わっていく過程を表現すれば、感動を与えることができる。
というより
罪悪感を愛に変える過程を見せる生き方をすれば、誰からも愛される。
心理学的には無価値感は悪者
現実問題の話をしよう。
無価値感は癒され切ることはない。
しかし、無価値感が強すぎると、仕事や恋愛がうまくいかないなど問題が起こることがある。
そして、無価値感のサイズ感が大きければ(閾値を越えれば)、問題が発生する。
無価値感のサイズを、大問題を発生させない程度にまで小さくすると、生きやすくなるかもしれませんよ〜という話がある。
だから無価値感の効能を述べてはきたが、無価値感を多く持つことを推奨しているわけではない。
ただ、表現をする人やモテを目指す人にとっては、無価値感をうまく武器にしてほしい。
「無価値感が減ったら表現者としては終わりなの?」
ということについては、この記事を参照してほしい。


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