感謝は非日常からの帰還で起こる
目次
結局、ありがとうは、非日常的な要素がある時にしか感じられない。
今回は、感謝の手紙を書くことで人工的に感謝を引き起こすテクニックの話ではなく、天然の感謝が起こるしくみを考察する。
感謝は感情で、感情は天気に例えられる。
雪が降らない地域があるように
空気が乾燥する地域があるように
感謝という感情の気候を起こしやすい、気象条件を模索していきたいわけである。
ありがとうは非日常がないと起きない
「失って初めて、感謝を感じる」
このしくみから逃れることはできない。
しかし一つだけこの原理を起こす方法がある。
日常になってしまっている人や環境に感謝を感じるためには、ある条件が必要だ。
それは、
「非日常」を起こすことだ。
ありがとうは、有り「難い」と漢字で書きま〜す。という話は聞いたことがあると思うが、
いかに、それがそこに有るのが「難かったのか」をまざまざと感じることができるタイミングとは、それが失われかけている・失われたとき、つまり非日常の中なのだ。
これが、ありがとうが起こるきっかけは非日常だという説明である。
「普段から感謝をする」は可能か
「普段から、ちゃんと感謝の気持ちをもって生きよう」
という説教は、人間の本能的な心の動きを理解していない綺麗事だ。というのが私の持論である。
正確には、非日常からの「帰還」が必要
非日常があれば、感謝を感じられるんですねっ!
いや正確に言うと、まだ少し要素が足りない。
たとえば
常に死を意識せざるを得ない人や(=非日常に生きる人)
戦争中の地域に住む人(=非日常に生きる人)は感謝を感じやすいのか?
おそらくそうではないはずだ。
心の余裕がない時期は、感謝は感じにくい。
感謝を感じるためのもう一つのピースは、「心の余裕」なのだ。
つまり非日常だけでは不十分で、
非日常から安心のある場所に戻ってきたときに、心の余裕が復活し、感謝が生まれるのだ。
「失って、それが戻ってきたときに感謝を感じる」が正解だ。
迷子の5歳児が、お母さんとはぐれた非日常状態で感謝はしない。
お母さんが戻ってきたときに、安心に触れて大泣きするが、そこにあるのは感謝の感情だ。
だがもし、そのまま一生母を失えば、大きな傷になる。
「私と別れたら、彼は私の存在に感謝するに決まってる!」
と捨て台詞を吐く人がいるが、実はそれは間違っている。
「私がいなくなった」だけでは、彼は感謝はせず
彼のもとにちゃんと戻ってこなければ(しかもゴキゲンな状態で)、彼に感謝を感じさせることはできないのだ。
非日常は人工的に引き起こせるか
「それ」に感謝を感じるには、自分とそれとの間の安定感をいったん揺るがさないといけない。
(ちなみにマンネリとは、揺るがすことから逃げた結果とも言える)
別れ話、喧嘩、トラブルなどの「地震」が起こると、関係は一気に非日常化する。
非日常が起こるパターンは3つある。
1 不安・喪失が生じるのを何もせずに待つ
普遍はない。
なので何もしなければ、本物の不安定が手に入る。
2 失う前に、失ったものとして扱う
「今日を最後の日だと思って生きる」系の試みのことだ
私に言わせれば、これができれば苦労はしない。
リアリティをもってそう感じることはできない。
3 同じものを、同じ距離で見ない
対象のものから、
・物理的に離れる
・時間をおく
・解釈を変える
というやり方だ。
特に3つめの「相手に対する解釈を変える」というのは、相手ではなく自分が間違っているのだとしたら?という視点で世界を見続けることが必要だ。
自分を責めるのではなく、「わかりたい、気づきたい」という探究心のもと、相手に対する新しい解釈を手にいれることができれば、感謝が生まれる。
(カウンセリング案件ではありますが)
擬似的な喪失体験を作り出すのは無理
ドッキリ企画は、非日常からの帰還を体験させてくれる。
周囲の人間が協力して擬似的に喪失体験を引き起こし、
「ドッキリでした〜!」
ネタばらしの瞬間に、非日常から帰還できる。
ターゲットが「よかったあ〜!(泣)」と号泣し感謝を感じている場面を見たことがあるだろう。
だが現実世界に、そんな環境は用意されない。
とはいえ何かできることはないのか。
映像制作や楽曲制作は感情を動かす力があるのだから、何かできないものか。
と、考えてはみたが、自分ごとの喪失の疑似体験を作り出すことまではできないだろう。
解釈を変える(非日常)は起こせる
喪失体験を擬似的に起こすことはできなくても
「解釈を変える」という非日常を起こすことまでは、創作やヒーリングワークのような手法により可能だ。
なぜなら、制作者(たとえば楽曲制作をする私)や誘導者の第三者視点が入るからだ。
「彼が悪者だ」「私は酷い世界にいる」
このような思い込みが消える世界観を、少し体験してみることができるのだ。
私にできること
私の提供している楽曲制作カウンセリングは、一種の誘導瞑想のようなものだ。
私という第三者視点が入ることにより、うまくいけば関係性の「捉え直し」が起こる可能性がある。
というかそのためにやっている。
ヒーリングワークのような誘導瞑想において
「今ここでこう感じなきゃ…いややっぱ無理…」とうまく感情を感じられないことはある。
楽曲制作でも同じように、楽曲を聴いて「いやこんなん私じゃねーし」と思う可能性はある。
ただそれでもそれを「今はよくわからんけどまあそんなもんかと受け取る」ということはおすすめしている。
第三者視点の投入で、今まで自分が立っていた場所から移動して、視点をずらすことができ
自分はこんなに、素晴らしい世界にいたんだと気づく。
今すぐでなくても。
1分で泣ける映像といったコンテンツもあるように、
音楽や映像は、強制的に非日常に連れていくことができる。
宣伝をしたかったわけではないのだが、私の頭ではここに結論した。
なにか他の、非日常を引き起こすアイデアをお持ちの方は、ご連絡ください。


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