SNSに彼の不満を書いてはいけない
傷ついたとき。
浮気されたとき。
音信不通になったとき。
突然別れを告げられたとき。
怒りや悲しみを誰かに聞いてほしくなるのは、自然なことだ。
「感情を吐き出すこと」そのものは大切だと考えている。
ただし、その吐き出し先はSNSにしてはいけない。
SNSに嫌な感情を書いてはいけない理由
私は、
人の人格は「何を繰り返したか」によって少しずつ作られていく、と考えている。
怒りを感じるたびにSNSを開き
相手への怒りを書き
投稿を読み返し
また思い出して書き足し
これを繰り返していると、二つの弊害が起こる。
❶怒りを「処理する・破棄する」のではなく、「保存する」習慣ができやすくなる。
❷公開アカウントであっても非公開アカウントであっても、依存が形成され、理想的な人格形成(感情を自分で扱える人間になること)の妨げになる
このことを私は問題視している。
SNSは嫌な感情を保存してしまう
感情をSNSに書いてはいけない一つ目の理由は、嫌な感情が処分されず保存される点だ。
一見すると感情を吐き出しているように思える。
きれいさっぱり、「捨てることができた」と。
しかし実際に起きていることは違う。
その吐き出しは、「破棄」ではなく「保存」になってしまっているのだ。
SNSというのは
「あの人は最低だった」
「私は傷つけられた」
と何度も再生する場所になりやすい。
それは、再度その自分の投稿を目にすることによって、記憶が強化されるためだ。
感情を保存し、何度も取り出せる。
SNSを開くだけで、嫌な記憶を何度も復習し、他責の練習をしているようなものだ。
嫌な感情は、排泄物や生ゴミに例えられる。
つまり、保存してはだめで、さっさと捨てないといけない。
だが、
SNSには保存する機能はあるが、「捨てる」という機能がない。
だから問題なのだ。
「SNSに書くとすっきりするし、処理されてるのでは?」と感じたことがある人もいるかもしれないが、
実は保存し、嫌な記憶や他責力を強化してしまっていることに気づいてみてほしい。
SNSは感情を自分で扱う力を奪う
SNSに書いてはいけない二つ目の理由は、依存形成だ。
まず、公開アカウントで吐き出した場合。
共感してもらう
自分の正しさを証明してもらう
「相手が悪い」と確認してもらう
という流れが生まれやすい。
これは他者に感情調整を委ねる習慣を作りやすい環境であり、それが自分で感情を扱う力の形成を妨げる可能性がある。
次に、非公開アカウントで吐き出した場合。
これなら誰にも見られないからいいのか?と思うかもしれないが、実はそうではない。
誰が見るか見ないかは問題ではない。
非公開アカウントは、人目がないぶん
「つらくなったらSNSへ書く」という行動パターンができてしまい、そこに依存することにつながる。
あなた自身の脳が、何を学習するか、という話だ。
このパターンができてしまうと、不安や怒りを自分で処理する力は永遠につかない。
ノートに書くこととの決定的な違い
じゃあ感情は、ノートに書けばいいのか?
適当なノートに感情にまかせて出てきた言葉を、気が済むまで書き続ける、書き殴る、というワークを推奨している。
ただしこれは、
その後「保存せずに破棄する」という約束がある。
とっておいたり、しまいこむことはおすすめしていない。
この感情だらけのノートを処分し、「一旦終わりにする」という儀式が必ず必要だ。
処分の方法は、ただ単にゴミに捨てるのでも悪くはないのだが、
可能であれば、
切り刻んだり、破り捨てたり、焼却したり、神社のお焚き上げに出すなど、「この感情はこの世から無くなったんだ」と感じられるような最後にすることが、より望ましい。
ノートに感情を書きまくってしまえば、
それこそ悪口ばかり言う人になってしまうのでは?という懸念もあるだろう。
書いた後にそのノートを物理的に破棄することで、「この感情は役目を終えた」と完結させれば、問題はない。
そう思えないのであれば
「この感情は役目を終えました」と口に出して言ってみるのもいい。
SNSが「感情を保存する場所」だとすれば、ノートは「感情を破棄する場所」なのである。

自分の感情に責任を持て
「これ」がなければ、近い距離の人と必ずといっていいほどうまくいかなくなる、というものがある。
それは、
「自分の感情は自分で責任を持つ」という意識だ。
人は、距離が近い相手ほど甘えが出る。
そして、気づかないうちに、自分の怒りや不安を相手に処理してもらおうとしてしまう。
しかし、それは相手にとって大きな負担になる。
このことに気づかないまま、大切な人との関係を壊してしまう人は少なくない。
怒りを爆発させれば、その瞬間に関係が壊れることもある。
一方で、怒りを押し殺すだけでも、関係は少しずつ傷んでいく。
人間関係は、「好き」という気持ちだけでは続かない。
相手に自分の感情を処理させ続ければ、どれだけ愛情があっても限界は来る。
だから、自分の感情を自分で処理する力は、身につけなければ大切な人を失いかねない技術なのである。
もし「他人に自分の感情を処理させること」が、マナー違反や迷惑行為として広く認識されていれば、多くの人はもっと意識したはずだ。
しかし実際には、学校でも社会でもほとんど教わらない。
そのため、自分の感情を相手に処理させようとしていること自体に気づいていない人が少なくない。
一流がSNSで感情を吐かない理由
最後に、少し視点を変えよう。
「SNSに不満を書く」という行為は、イケてる人間のすることだろうか。
大谷翔平や羽生結弦が、落ち込むたびにSNSで
「もう無理です」
「誰か励ましてください」
「アンチのせいで眠れません」
と書く姿は、あまり想像できない。
もちろん、公人だから書かないということもあるだろう。
スタッフにより管理されているということもあるだろう。
しかし、それだけではない。
彼らは、自分の感情をSNSで処理しようとすること自体が、自分のよしとするあり方とは違うと考えている可能性がある。
一流の人は、感情がないのではない。
感情は自分で引き受けるものという感覚を持っている。
スポーツ選手ならなおさらメンタルコントロールは初歩的なことなのだろうが。
だから、感情は日記に書く。信頼できる人に相談する。練習や仕事に向ける。
SNSに流して、その場の反応で気持ちを回復させようとはしない。
結果として、その姿勢が品格や信頼につながっていく。
別の言い方をすれば、
SNSで不平不満を書かない人は、自分に対するプライドが高いとも言える。
ハイレベルな集団ほど、SNSで感情を垂れ流すような振る舞いは、自分の品格を下げる行為だという感覚がある。
「バレなければいい」のではない。「そんなことをする自分になった時点で終わり」ということだ。
だから彼らは、我慢して書かないわけではないのだ。
「書きたいか」ではなく、「そんな自分でいたいか」。
その問いが、あなたを止めてくれる。


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