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今回のご相談は 音楽をまた好きになるにはどうすればいいでしょうか? / ミツルさん
こちらのご相談です。

ご相談文要約

かつてライフワークだった音楽が、バンド活動で他人に合わせて消耗したことをきっかけに、作ることも演奏することも苦痛になった。
当時の仲間がプロになり、「自分も続けていれば」という後悔もある一方、音楽鑑賞自体は今も好きである。
好きだった音楽を再び楽しめるようになるにはどうしたらいいか。

https://cocoro-marche.com/archives/35645

回避型・復縁・音信不通の専門家
恋愛専門医オーシマユーコです!

私も、楽曲制作をしており
「楽曲制作カウンセリング」という特殊なカウンセリングも展開しています。

私もたびたび「音楽を楽しめない」という壁に常にぶち当たります。
その際の考え方についてを惜しみなくお伝えしたいと思います!

昔は、曲ができていく過程が楽しかったり、人に聴いてもらうこと自体にワクワクしたんじゃないでしょうか。

でも途中から
いい曲を書かないと
ライブを成功させないと
という、「~しないと」という義務が出てきたのではないでしょうか。

そして仲間がプロになった。
「自分も続けていれば、あっち側にいたかもしれない」という思いも出てきた。
そうなると、もう音楽はあなたにとって、ただの音楽ではない。

音楽を使って、自分の価値を証明する場所になってしまいます。

「いい曲を作れる俺=すごい」になってしまうと
逆に曲が作れなければ、「作れない俺=すごくない」になるからです。

テスト前に部屋の片付けがはかどる、っていう話がありますよね。
普段ぜんぜん片付けないくせに、テスト前になると急に部屋を片付けたくなるという現象です。

急に片付けが魅力的になる理由は、別に片付けが突然ライフワークになったからではありませんよね。

片付けよりもっと強い義務が現れたからです。

テスト勉強という「やらなくちゃ」が現れた瞬間、それまで面倒だった片付けが自由な活動に見えてくるんです。
同じ行為でも、それより強い義務が現れると、相対的に「自由」に感じられるということですね。

音楽も同じです。

音楽が人生で一番重要なものになり、
音楽で成功しなくちゃ
音楽を楽しめる自分に戻らなくちゃ
となったら、音楽は「テスト勉強」の席に座ります。

この状況を打破し、音楽=自由にするには、
「音楽なんかやってる場合じゃない」となるような、重い別の義務が発生する必要があります。

親の介護や子育て、結婚生活でやることが増える
自分や誰かが病気になる(究極は余命宣告される)
仕事が超忙しくなる
などですね。

そうすると突然、「ああ、曲作りたいな」と思うことがあります。

だから病気になればいいという話ではありません。

言いたいのは、

音楽を「人生の重要課題」にしすぎたことで、好きという感覚が見えなくなっている可能性があるかなと思います。

「昔みたいに音楽を楽しみたい」と言ってみたけど、本当は、
「音楽を続けて、何かを成し遂げた自分になりたかった」
と悔やんでいる可能性はあると思います。

だったら、「楽しさを取り戻す方法」を教えても、あなたの本当の望みからはズレてしまいます。

良い作品を世に出し、評価され、
自分の人生はこれでよかった」というところまで音楽に担当させているなら、それは音楽は楽しくなくなります。
作曲が、自分を救済するプロジェクトになってしまうからです。
「さあ、この曲で俺の人生を正当化してくれ」と。

そこで、何者にもならない曲を作ってみるとどうなるんでしょう。

自分の人生を救済する能力がない曲を作ることの大切さ。
音楽から一時的に「私を救え」という役割を外したら、どうなるのか。
「音楽を楽しみたい」と言いながら、本当は「音楽に自分を報わせてほしい」と思っているか。

それをあなた自身で確かめてみてほしいんです。

ここで一回、「音楽を楽しみたい」という言葉を考えてみたいんです。

たとえば、あなたが普段ほぼしない登山を今度することになったとして。
「いい景色見たいなー」
「久々体動かしたいわー」
「頂上でおにぎり食おう」
くらいで登るとします。

頂上に着いた。
景色きれいだった。
おにぎりうまかった。
帰った。終わり。

別にその登山によって、あなたは何者にもなっていません。
誰にも知られなくても、山に登っている時間を楽しんだなら、それで成立している。

これが、かなり純粋な意味での「楽しむ」だと思います。

一方で、あなたが登山ガチ勢だとして
「この山に登ったことを自分の実績にしたい」
「SNSで発信したい」
「前回より速く登りたい」
となったらどうでしょう。

別に、それも悪くありませんし、むしろ面白いでしょう。

でもそれだと、
山に登る目的が変わっています。

「山を楽しむ」だけではなく、山を使って何かを達成するが追加されているんです。

そうなってくると
景色を見ながらのんびり登りたいけど、タイムも縮めたい。
疲れたから休みたいけど、自己ベストも更新したい。
という衝突が起きることになってしまいます。

「山が好き」と「山を使って何者かになる」は別だということです。

これと全く同じことが音楽にも起きます。

音楽を本当に楽しむだけでいいなら、
 このコードワーク好きだな~
 このピアノの音の丸みが好きだな~
だけでいいんです。

30年間やって、代表作ゼロですと。
それでも30年間、「音楽おもしろかったな」と思えたなら、
「音楽を楽しむ」という目的は達成されています。

でも。
あなたは本当に、それでいいんでしょうか?

「良い曲なんて作らなくていいですよ」と言われて、本当に嬉しいでしょうか。

私が問いたいのは
あなたが欲しいのは本当に「音楽を楽しむこと」だけでしょうか。

あなたの中には二つの願いがあると思います。

一つは、ただ音楽を純粋に楽しみたい。
もう一つは、音楽によって何かを成し遂げたい。

でも、もしそうなら、これらは「同時には」両立は難しいです。

「正しくて、かつ、楽しいこと」は、実は存在しません。
私たちが選べるのは、基本的に「正しいけど苦しいこと」か、「楽しいけど間違っていること」のどちらかです。

でも、今日はどっちにするかは選べます。
音楽をまた好きになりたいなら、しばらくは意識して「間違っているけど楽しい」を選ぶ日を作ってもいいんじゃないでしょうか。

音楽との付き合い方は3つあると思っています。(グラデーションや混合はあると思います)

①サーティワンの距離感

音楽との距離感が、まるでサーティーワンのように「気が向いた時に行く店」の距離感の付き合い方です。
あなたがサーティーワンに行かないなら吉野家でもディズニーランドでも構いません。

つまり、食べたい日に食べる。食べたくなければ行かない。
3か月行かなくても何の問題もない。
「今年は去年よりアイスを食べられなかった…俺は終わった」とは思いませんよね。
食べた。うまかった。終わり。

このように、
音楽も、今日ギター弾きたい。弾いた。終わり。

気が向いたらやる、という付き合い方です。

②宮崎駿の使命感

次は、ジブリ映画監督の宮崎駿氏の使命感というものです。(これは宮崎駿氏の心理を断定しているのではなく、「作品を作ることに人生を賭ける芸術家」の象徴として使います)

自分にしか作れないものを作りたい。
後世に残る傑作を作りたい。
自分の限界を見たい。
そういう道です。

自分には才能がないんじゃないかと思ったり、他人の作品を見て絶望することもある。
この道を選ぶなら、むしろ楽しくない日ばかりでしょう。

③職業作家ベルトコンベア

依頼が来たから作る。
生活かかってるからやる。

音楽に対して「モチベーションを保つ」という概念があまりありません。
「モチベーションを保つにはどうしたらいいですか」とかよく相談されるけど、それに生活かかってないからだろと思う。というような感じです。

「楽しく音楽をやる」というのは、サーティーワンの距離感で行くということです。
プロとして食えるというのは、職業作家ベルトコンベアで行くということです。
さらに「何者かになるための音楽」をやるというのは、宮崎駿ルートを行くということです。

どれが正しいという話ではありません。

ただ、「何者かになるための音楽」を選びながら、「何者にもならなくてよかった頃と同じ楽しさ」を要求しているとしたら、そこに矛盾があると私は思うのです。

サーティーワン型と宮崎駿型、どちらも「楽しさ」はありますが、明確に違いがあります。

サーティワン型は単純です。
食べる。うまい。楽しい。終わり。
と、行為そのものに報酬があります。

宮崎駿型は違います。
作っている最中はあまり楽しくないかもしれません。

できねえ
気に入らねえ
なんでこんなものしか作れないんだ

それでも作り、世に出て人に評価される。

そこで初めて
「ああ、これを作ってよかった」という瞬間が運良く来たとして。

これは「楽しい」というより、「報われた」という感覚に近いと私は思います。

「ここまで評価されたなら、俺の人生もこれでよかったのかもしれない」
「ここまで認められたなら、自分も少しは許されていいのかな」
というような。

ただそれを、「音楽を楽しむ」と、あなたは呼びますか?

サーティーワン型の、音楽そのものから得る快。
こちらは即払いされます。

宮崎駿型の、音楽を使って何かを成し遂げる喜び。
こちらは、後払いされます。
いや、後払いされる保証すらありません。
永遠に評価されないかもしれないですからね。

だから「音楽を楽しくやりたい」という人に宮崎ルートを勧めるのは、的外れです。
でもその人が本当に欲しいのが、「音楽を通して大きな達成感を得たい」なら話は別です。

そこをご自身で、見極めてみてほしいのです。

「自分は音楽を楽しみたいのか、何者かになりたいのか」を考えてみるために
一つ、実験を提案したいです。

一か月だけ「何者にもならない音楽制作」をしてみませんか。

「下手でもいいから自分を許しましょう」みたいな話ではありません。
ちゃんと、目的があります。

曲はいいのに歌詞が残念な曲を作る

歌詞のテーマは、

Amazonの段ボールが捨てられず、部屋の隅で増殖している
カップ焼きそばのお湯を捨てる前にソースを入れた
電子レンジを残り1秒で開けたので、永遠に「1」が表示されている

これぐらい馬鹿らしいテーマで一曲作ります。

ただし、曲自体は本気で良い曲を作ってください。
目標は、
「曲はめちゃくちゃいいのに、歌詞むちゃくちゃやな」
と言われることです。

このとき、他人の評価って、
自分の価値を品定めされるものじゃなく、
自分が仕掛けた遊びが成功したかを見るものになりますよね。

遊び心で曲を作っている途中で、
sus4にしたら無駄に感傷的になる
クワイヤ入れて畳み掛けるラスサビにしよう
とか、

誰にも頼まれていないのに、自分から余計なことを始めたら、そんな自分に気づいてみてください。

「こうしたらもっと面白くね?」で動いている自分がいる。
それが、音楽を楽しむに触れる一つの方法として提案したいことです。

そして「なんかこれ普通に曲としていいな」となったなら
別バージョンとしてまともな歌詞のボーカルトラックを作れば良いだけです。

このチャレンジで探してほしいのは、
「誰にも求められていないのに、自分からやりたくなったことは何だったか」です。

あるいは、何もしたくならなかったなら、それも結果です。
クソ歌詞でも作りたくない。
評価を外してもやりたくない。
完成させなくていいと言われても触りたくない。

だったら単純に、
今の自分にとって、音楽制作の優先順位が昔より下がった可能性もあります。

それも悪いことではありません。
昔好きだったものを、一生好きでいなければならない義務はないですからね。

そしてもう一つ別視点からも考えてみましょう。

私は恋愛専門のカウンセラーなのですが、「彼に嫌われた」という人に対して、私がよくする話があります。
「嫌いになった人を、もう一度好きになるとき」という話ですが、音楽に置き換えることができます。

嫌いな人をまた好きになれたとしたら、何が起こったんでしょうか。

それは、
「その人を全く新しい人として見た時」にそれが起こります。

2人でいる時の感じはよく知っているけど、
第三者がいる時などに、全く知らない面を見ることがあります。

「え、歴史に詳しかったの!?」
「意外と感じよく話せるんだな」
と、「こんなにも知らない面があったのか」と驚いた時、ロマンスが復活します。

音楽も同じです。

昔と同じ入り口から戻ろうとしないでみてください。
例えば、昔からJ-POPやロックをやっていたのだとしたら、

自分がリラックスするためのアンビエントを作る。
ワールドミュージックを調べ、民族楽器マニアになる。
新しい楽器を始める。
楽器の百科事典を買う。
音楽史を勉強する。
など、今まで開けたことのない扉を開けてみてください。

音楽は人間ではないので、
「実は私、こんな一面もあるんですよ」とは言ってくれません。

だからあなたのほうから、今までと全然違う場所に立ちに行ってみてください。

「俺、音楽のこと知ってると思ってたけど、全然知らなかったな」と思えるまで
まだ知らない音楽の一面を見つけようとしてみてください。

その時にまた、楽しいは戻ってきます。

今すぐ、「音楽は自分のライフワークだ」と決める必要も、「もう音楽はやめよう」と決める必要もないと思います。
まずは、今回紹介した方法をいろいろ試してみてください。

昔と同じように好きになるのではなく、今の自分なりの、音楽との新しい付き合い方が見つかるかもしれません。

また当サイトには、音楽や表現についての記事がありますので、よろしければご参照ください。

長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。
いろいろ自分に合うやり方を試してみてくださいね!

恋愛専門医オーシマユーコでした!

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