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心理学系の発信に
「まず、感情を感じましょう」というものがある。

しかし
「感情を感じることは万能」といった曲解もよくあり、感情を感じることに全てを賭けすぎている人がたまにいる。

そういう人にお伝えしたい。

「感情を感じる」をすれば、少なくとも現在地は変わる。
しかし、その目的地までは指定できないのだ。

感情を感じたからといって、100%の確率で夫婦関係が修復したり、音信不通の彼から連絡が来たり、浮気していた夫が「やっぱりお前しかいない」と戻ってきたりするとは限らない。

なぜなら、「音信不通状態」から「彼から連絡が来る」に至るまでは、あなたの感情面以外にもありとあらゆる要因があり、自力でどうにもできないものもあるからだ。

もちろん感情を感じないよりは感じたほうが状況は前進はするのだが、「彼から連絡が来る」という結果にピンポイントで到達する保証はない。

これは美容整形と同じだ。
「橋本環奈の顔になりたい」と整形をはじめて、目だけの整形で橋本環奈になる確率はかなり低い。(=感情だけ感じても、彼から連絡が来る確率は高くない)
さらに鼻も輪郭も整形したとしても、橋本環奈になる確率はそれでも低いだろう。

しかしそれでも私は、感情を感じることにはメリットを感じている。

感情を感じれば、現実問題はどう変わるのか。
これを解説したい。

明らかに苦しんでいるわけではなくても
 何となく気持ちが晴れない
 理由は分からないが引っかかる
という状態は少なくない。

私はこれを「くすぶり」と呼んでいる。
仕事もできるし、日常生活も送れているが、
違和感や寂しさがあったり、不満を感じないようにしているだけだったり、それが長く続いたことで「これが普通だ」と思い込んでいたりする。

恐ろしいことに、悲しみや寂しさなどのネガティブな感情を長く抑え続けていると、人は喜びや安心、愛情といったポジティブな感情まで感じにくくなっていく。

逆に言えば、ネガティブな感情を少しずつ感じられるようになると、ポジティブな感情も感じられるようになっていくのだ。

「悲しい」が戻ると、「嬉しい」という感覚も戻る。

感情全体の感受性を取り戻すことで、人生の苦しみだけでなく、喜びや幸福感を受け取る力も少しずつ回復していくのである。

もう一つ重要な話がある。
特に、突然の別れや音信不通など、強いストレス状態にある人にとっては、感情を感じることにはもう一つ大きな意味がある、という話をしたい。

人は強い不安や緊張の中では視野が狭くなり、「どうして」「許せない」「何とかしなければ」という思考を繰り返しやすくなる。
その状態では、複雑な人間関係を落ち着いて考えることは難しく、同じところをぐるぐるすることになる。

なのでまず、抑え込んでいた悲しみや怒りを少しずつ認識できるようになると、だんだん状況が整理できてくる。
すると、「本当はどうしたいのか」「何を判断すべきなのか」を考える余裕が生まれはじめる。

強いストレス状態において、立ち止まって感情を感じることは、問題解決そのものではないが、問題解決ができる状態になるための作業なのである。

感情は、人との関わり方を変える。
嫌いな人に対する感情が、少しでも良いものになってくると、態度もだんだん変わるのと同じだ。

現象学者メルロ=ポンティは、私たちは世界をそのまま見ているのではなく、過去の経験や、身につけてきた物事の捉え方を通して世界を経験していると考えた。

例えば、「彼から返信がない」という出来事でも
「嫌われた!もう無理!」となる人もいれば
「ただ忙しいだけでしょ〜」と解釈をする人もいるように
その意味づけは人によって異なる。

なぜなら、人それぞれ経験してきたことや、自動的な思考パターンが違うからだ。

自分の感情に気づくことで次に起こってくるのは
「彼が返信しないから苦しい」のではなく、
「私は見捨てられることを恐れていた」
「私は曖昧な状態に耐え続けることが苦しかった」
などと、自分がその出来事をどう受け止めていたのかが見えてくる。

これは、都合よく前向きに考え直すことではない。

自動的に考えてしまうことや、過去の経験が、その出来事の受け取り方にどう影響していたのかを理解することである。

世界の捉え方が変わると、人との関わり方も変わる。

例えば、悲しみや不安を自覚できないまま抱えていると、その感情は、相手を責める、疑う、答えを急かす、何度も気持ちを確認するといった形で表面化しやすい。
本人としては問題を解決したいだけでも、相手には「責められている」「追い詰められている」と伝わってしまう。

一方で、自分が悲しいこと、不安なこと、傷ついていることを認識できるようになると、感情の表し方が変わる。

今までのように「どうして連絡してくれないの!」と責め立てるのではなく
「連絡がない状態が続くと、私は不安になるんだよね〜」と、責めないノリで伝えられるかもしれない。

あるいは、いったん距離を置いたり、我慢していたことを明確に断ったり、関係を終わらせることが選択肢に入ってくる人もいるだろう。

このように
感情を自覚することで、自分が何を感じているかを知ることができ、その結果、次の行動を自分で選べるようになっていく。

この流れを単純化すると、

感情に気づく

捉え方が変わる

行動が変わる

相手の反応が変わる

現実の流れが変わることがある

という連鎖になる。

感情と向き合うことで、世界の見え方が変わり、その結果として認知や行動が変わる。
そして、その積み重ねが人との相互作用を変え、現実問題の風向きを変え得る。

上記の流れは、システム論的な考え方からも説明可能だ。

例えば家族療法では、一人が変われば、システム全体が変わると考える。

妻だけが変わっても、夫の反応は変わる。
夫が変われば、子どもの反応も変わる。
つまり、
「自分しか変わっていないのに、現実が変わった」という現象は、決して不思議なことではない。
なぜなら人間関係は、一人ひとりが独立して存在しているのではなく、互いに影響を与え合うシステムだからである。

私は、この現象を森林によく例える。

一見すると、森は何も変わっていないように見える。
しかし、土壌の水分量が少し変わると、
菌類が変わる。
菌類が変わると植物が変わる。
植物が変わると虫が変わる。
虫が変わると鳥が変わる。
鳥が変わると種子の運ばれ方が変わる。
数年後には、森全体がまるで違う姿になっている。

小さな変化が連鎖した結果なのである。

感情も同じだ。

感情が変わる。
認知が変わる。
言葉遣いが変わる。
表情が変わる。
相手の反応が変わる。
その反応によって関係性の雰囲気が変わっていく。

相互作用が繰り返されることで、人間関係という生態系が少しずつ変化していく。

ここで誤解してほしくないことがある。

「感情を感じれば彼と結婚できる」と言いたいのではない。

感情を感じることで、自分の認知や他者との関わり方が変わる。
その積み重ねによって、現実の風向きが少し変わることがある。

ただし、その変化が自分の望んだ形で現れるとは限らないのだ。

音信不通だった彼から連絡が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
代わりに、自分が彼への執着を手放すかもしれない。
あるいは、新しい出会いが訪れるかもしれない。

変化はすれど、どんな形がいいかを指定することはできない。

美容外科に行き、「どんな顔にしてもらってもいいです♪今より可愛くなってもならなくてもどっちでもいいです♪」と言うようなものだ。
「そんな怖いことできねーよ」と思ってしまうが、目的地を指定できないというのは、そういうことだ。

感情を感じることは、現実を直接変える魔法ではない。

感情を感じることで、自分の認知や他者との関わり方が変わり、その積み重ねによって現実問題の風向きが少し変わることがある。

その結果として、「解決した」と思える状況になる場合がある、ということである。

こうなりたいと望む「理想の形」になることが大事なのではない。
「解決した」と思える心の状態になることのほうが、大事なのである。

ただ、これは理想の形にこだわっている段階では受け入れ難い話で、
「自分の理想の形ではなかったが、解決した」と思えた経験がある人にだけわかる感覚だ。

「今の立ち位置は、感情を感じたからこそたどりついた」と思っている人はあまりいないだろうが、
嫌な感情を感じることから逃げず、無駄な抵抗をやめたからこそ、頑なに居座っていた場所から移動して、今の場所にたどりつけたのだ。

「形はなんであれ、解決した」という感覚を得られる。

これが、私が「感情を感じることは大切だ」と考える理由である。

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