恋愛が進展しない人に欠けている「摂理を見る力」
その概念がある側か、ない側か
恋愛、というか全てのことにおいて、それがあるかないかで
発展性のある人生になるのか、そうでないのかが決まると私が思っている話をしたい。
それは何かというと
ものごとに対して、「摂理を見る」という概念があるかないか、ということだ。
もうこれは、概念として持っているか、もっていないかという話だ。
摂理を見る力は、「よし、じゃあ見るようにしてみよう」と思うだけで身に付いていく。
今からで遅くない。
その概念がない人は一生やらない。
今日から「摂理を見る側になるぞ」と思った人は、読み進めてもらいたい。
摂理を見るとは
「摂理を見る」というのはどういうことかというと、
目の前の出来事から、単発の感情を感じとるだけで終わらせず、そこに法則や構造があることを見抜くことだ。
例えば恋愛でいうなら
「既読スルーされた!ちょー嫌だった!」
と感情を感じるだけで終わらせず、
「人は不安になると追いかけるんだな」
「相手は内容ではなく私の不安からくる圧に反応して逃げているんだな」
こういった、背後にある法則を見つけようとすること。
これが、摂理を見るということだ。
なぜ人は恋愛で同じ失敗を繰り返すのか
なぜ承認欲求は満たされ切らないのか
なぜ追うほど逃げられるのか
なぜ成功者は孤独を好むのか
ものごとの構造や法則を探求する人のことを、「摂理を見る人」と、私は呼んでいる。
子供らしくない子供
「小学生の低学年の頃から、大人たちを見て悟った」
「小学生の頃から同級生が子供に見えて仕方なかった」
「小さい頃から大人のやりかたはおかしいと思っていた」
「なじめなかった幼稚園から逃げるように死ぬほど絵を描いていた」
などと、幼少期に子供らしからぬ内面があったことを告白する人がいる。
これはほとんどの場合、生まれながら超常的に完成しているのではなく
強い観察癖
違和感の感受性
メタ認知
内省傾向
こういったものが早熟だった可能性が高い。
人生の早い段階で、感情だけでなく、構造を見るということをし始めたのだ。
その原因として、苦痛経験が早かったことが考えやすい。
持病がある、環境になじめなかった、強い孤独や劣等感、特殊な家庭環境で育った、などだ。
人は痛みがなければ構造を見る必要がない。
快適ならば、世界を疑わずにすむ。
摂理を見る人はモテる
摂理を見る人はモテる。
3つ理由がある。
1 他責ムーブが終わる
嫌な出来事に感情で反応するだけでなく、構造を見ようとする人は、
「なぜこうなるか」を見るので、被害者意識や感情の暴発が減りやすい。
他責ムーブが減るのだ。
このことにより、圧倒的に関係が壊れにくくなる。
そして、他責がひっこめば、器がある人間に見える。
さらに、悲壮感が少ない人には人が寄ってくるというおまけもついている。
2 理解してくれる人をみんな求めている
構造を見ようとする人は、
相手を責める対象ではなく、理解すべき対象として見る。
例えば、回避型男性に対して
「なんで返信くれないの!?」と怒り狂うのではなく
「親密さ=拘束になるタイプか」と理解するとする。
すると相手は、「理解された感覚」を持ちやすい。
人間は、自分を理解しようとする人間に惹かれる。
3 知的だと恋されやすい
魅力が弱い人は「自分がどう思われるか」「自分が愛されるか、傷つくか」に集中するが、
摂理を見る人は、自分の感情だけではなく、世界そのものに興味が向く。
「なぜ人はこう動くのか」「なぜ歴史は繰り返すのか」と。
それが、知的にうつる。
人間は、「その人の頭脳に恋をする」ということは、よくある。
また、知的好奇心が旺盛な人は悲壮感が減って見えるので、これでも人が寄ってくる。
「摂理を見る」は足切り最低条件
このように、摂理を探せる人には発展性が生まれる。
少なくとも
音信不通や回避型、不倫恋愛など、超高難易度な恋愛にチャレンジしている人は、
この「摂理を見る」という概念がなければ話にならない。
厳しいようだが、それだけ難しい恋愛に挑むというのであれば、高い人間性が求められる。
独学でやれ
摂理を見るにしても、答えは一つではない。
だからなのか、学校で体系的には教わらない。
基本的には、子供らしからぬ子供がそうしたように、独学でつくりあげていくものだ。
「人間関係には反復構造がある」
「感情の背後には欲求がある」
「人は自分の投影を他人に見る」
「承認欲求は依存化する」
こういった摂理に、自力でたどり着かないといけない。
独学でしかできないのには理由がある。
摂理を抽出するのに必要な力は、
観察力、仮説を立てる力、抽象化する力、横断的に接続させる力であり
これは他人が教えられるものではないからだ。
「摂理を見る人」の例にしやすい、社会哲学者のエリック・ホッファーも学校教育を受けない独学者だった。
摂理中毒のチープさ
逆に、摂理を見る側の問題点が3つある。
哲学や心理学好きに多いのだが、
1つめ
「はい投影〜」「はい愛着障害〜」と、
相手を理解した気になって、その人の手触りを感じていない。ことに気づいていない。
2つめ
摂理をわかったとて、「寂しいものは寂しい」という感情を置き去りにしてしまう。
これはこれで浅い。
「矛盾を愛する」というもう一段上の姿勢に欠けている。
感性が貧相な気がしてならない。
3つめ
「自分は世の中の構造が見えている」という優越感は、スケールの小ささだ。
「わからないことだらけだ」と言える人は、膨大なものが視界に広がっているということであり
逆に「自分はすべて見えている」と言っちゃう人は、そもそも視界におさまるスケールのものしか見ていない。
なので、
人間としての感情を持ったまま摂理を見ようとし、自分もまた摂理に飲まれる側だと知っていること。
これが一番、バランスのとれた状態だと思う。
つらい経験からは元をとれ
あなたが今、つらい局面にいるのであれば
その道中で「摂理を見る」概念をぜひゲットしてほしい。
つらい経験からは、元をとらないとダメだ。


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